漆瓶栓デザインの根幹をなす、金属リングに刻印・金メッキが施されてきたので、それらを組み立て、先日DMで注文を頂いた皆様に発送をしました。色々大変でしたが、とにもかくにもこうして出来上がると何より嬉しい。
漆と金属リングさらには瓶とのストッパー部には、柔軟なシリコンゴムの異素材をはめた。たかがボトル栓に、何でこんなことまで・・・と、ほとほと自分でもあきれています。
想い起こすと、かつて美大の卒業制作は漆に金属板を張り付け、マグネットじかけのわけのわからないオブジェを作り、先生たちを煙にまき。長野オリンピックメダルでは丸い金属枠の中に漆蒔絵のわずかなアールのついた2ミリ厚の金属板をはめ込み組み立て、さらには、スイスバーゼルフェアに出品するような一千万円を軽く超える高価な腕時計ではなく、自分でも買えるような金額の漆蒔絵腕時計の開発。これが、今まで私の携わってきた新しき漆の世界への挑戦・・・なんと好き勝手なことをしてきたもの。
昨日、友人たちが工房に集まってきて、『これだけ好きなことをやって、タケさは幸せだ。』と言ってくれた。ほめられているのか呆れているのか・・・確かに、これまで好き勝手なことをやって、ここまで生かせてもらった。そして、その都度、越えなくてはならない困難につきあたると、様々な形で応援してくれる人々が現れ支えてくれました。そんな皆様方に改めて感謝しないといけません。
深く深く、ありがとうございます。
でも、ようやく2月から漆瓶栓の販促活動を始めたものの、今度は、世にない物の価値を、文化を、どう世に周知し問うていくのか・・・これが次なる私の課題です。
自分の未知なる能力を使い果たし、へとへとになるまで考え、創り、販売していく・・・これら全てを自らやってみたいので、困った性分です。
6年ほど前、亡くなった兄貴のように慕っていた人が書いてくれた画の中に『格物致知』という言葉があります。
その言葉を調べてみるに、 『格物とは、事物に至る、つまり事物にはそれぞれその事物の理があるので、一事一物の理を十分に窮め知ること、致知とは、知識を推し極める、あらゆる事物の理を知り尽くすこと …』とある。なかなかに難解ですが、要するに一つのことを押し進める上で、自分の全身全霊を使い物事にあたる、そうすれば自ずと知・真理に至る。と、解釈すれば良いのか…と、実に勝手な解釈をしている。
読解力は、もともと備わっていないと昔からわかっちゃいるが、勝手に解釈する能力だけは頭抜けている。爆!