早いもので9年前の今日、東日本大震災が起きた。そして、この度の新型コロナウィルスの蔓延。何があってもおかしくない不確実な時代・・・しかし、私達一般庶民には、どうすることも出来ない・・・
こんなことを考えながら日夜仕事をしているわけですが、一般庶民の苦しさを政界はどこまで理解しているのか・・・おまけに、今日は可愛そうなことに春の甲子園も中止になってしまった。せめて無観客試合でも、と私は思うのですが残念です。では、夏の東京オリンピックは・・・?
東京オリンピックと言えば、私は長野オリンピックメダルに引き続き二連覇を目指した。まさに無謀なドンキホーテ・・・。実は6年前の2014年、東京オリンピックメダルの企画書を東京オリンピック組織委員会に持ち込んでいた。
そのメダルは、生物に欠かすことの出来ぬ塩を封じ込めたメダルでありました。表面に関しましては、夏のオリンピックでは第1回オリンピック開催されたギリシャ、アテネのパナシナイコ競技場をバックに勝利の女神ニケの像が彫り込まれ、変えることは出来ない規定であることは知っていましたが、2008年開催の北京オリンピックでは、裏面に翡翠の石を埋め込んだ事例があるので、まったく不可能なとんでもない提案でもありませんでした。ちなみに提出した現物メダルの寸法は直径85ミリ、厚さは10ミリでした・・・
それが、一昨年(2018年)の冬、東京オリンピックメダルのコンペ参加の募集がありましたので(この時点で、オリンピックメダルに関してはプレス加工出来るメダルであることが規定)、せめてパラリンピックだけでもと応募しようとエントリーし、応募資格を得たと喜んでいたら、その後、デザインブリーフなるものがメールで送られてきて見ますと、パラリンピックも製法はプレス加工出来ることがメダルデザインの条件に変わっていました。これで、あえなく応募することもかなわず、儚くも4年間の夢はくだかれ、結局造幣局が製造することに決まった。
塩はかつて国の専売制であり、大蔵省管轄でもあったので、翌年(2015年)造幣局にも顔を出し同様に企画書を持ちながら挨拶しにいくと、『造幣局も私たちも一般の皆さんと同じ立場で、これからです』と言われた。それが蓋を開けてみるとメダルの審査員には、13名のうち2名が造幣局から出ていた。これが残念ながら今の日本です。
日本の官僚システム・・・さらに驚くことに、2014年東京オリンピック組織委員会に向け私が提出してあった塩を封じ込めた現物のメダル(まだ、この時点ではエンブレムも決まっていない)の寸法と、デザインブリーフに記載されているデザイン条件の寸法(上記に記載)は、全く一緒だったのであります。偶然なのか・・・あ~ぁ・・・
しかし、打ちひしがれる間もなく、その2月、小平奈緒ちゃんが平昌オリンピックで見事金メダル!せめて、奈緒ちゃんへのお祝いにと、彼女だけの特別メダルを急遽創り、8年前に約束した私の作った太陽の腕時計と共に手渡すことが出来ました。彼女も大いに喜んでくれ、これはこれで、実に嬉しいことでありました。
塩のメダルは、決して割れることのないように2ミリ厚の硬質アクリル板を使用。軽やかに塩の粒子は動き、メダルを耳にあて静かに回すと、寄せては引く穏やかな波の音のように、私には聞こえました・・・
奈緒ちゃんには、『苦しい時には、この音を聞いて、心を鎮めて』と言って渡しました。
[塩のメダル物語]
生命の源、日本におけるお清めの塩・汗の結晶・敵に塩を送るの故事・・・何より、純白な清らな塩で、諸々世の邪悪なものを洗い浄めてくれるメダルかと思いましたが、こんな風に砕け散っては、時に報われ、そんな繰り返しがどうも私の人生のようです。
しかし、東京オリンピックを直前に、新型ウィルスが世界中に蔓延している中、まさにウィルスを根絶に相応しいメダルであった!か、とも考えるが、すでにオリンピック開催も危うく、うかれている場合ではないようだ。
いずれにしても、今日は震災で亡くなった人々、まだ立ち上がれず打ちひしがれている皆さんに、何と言っていいのか、いまだ言葉も見つかりませんが、とにかく、この震災を忘れることなく、好ましい未来に向け、日本が進んで欲しいと願うばかりです。
そのかじ取りは、日本の政治を司っている政治家をはじめとした官僚の皆さんであることを、決して忘れないで欲しい。