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漆の話
漆の木
目立て(最初に入れた傷から出る樹液)
<漆の樹液>
 漆は東アジア一帯に生育する漆の木より採集される樹脂で、成分はウルシオール、ラッカーゼ(酵素)、ゴム質等です。湿度のない所ではなかなか乾かないという点に関していえば、素晴らしくエコロジーな塗料で、朝一旦漆を漉すと(塗るために微細な塵を取り除く仕事)夕方まで仕事が出来、また翌日その漆に新しい漆を混ぜることによりまた使えます。またでんぷん質の糊等を混ぜ合わすことで粘着力ある接着剤としての役目を果たし、その強靭さは発掘されている数千年前の出土品(石器や矢じりなどと木との固定に縄を回した上に漆を施してある)から見ても明らかなことです。
チャンポの中の漆
<漆の採集>
 日本での漆の採集は5月末から10月中旬までで、かつて“掻きこ”と呼ばれていた漆掻きの職人が作業にあたっています。掻きこの数も年々減り、完全なる生業としている人は全国でほとんどいないのが現状です。今春(2015年)、兄貴分のように慕っていました“掻きこ”のひとり、谷口吏(たにぐちつとむ)氏(晩年は漆の木を植えることに専念、漆木工作家として活躍)が惜しくも亡くなりました。その谷口さんより、かつて“掻きこ”の仕事 生活を伺いましたところ、年間150本から200本ほどの漆の木(直径15センチから20センチ)を買い、それを4分割し1日山から4日山に分け、1日に40本から50本ほどの漆の木に、掻鎌(かきがま)で漆の木肌をえぐり(彫刻刀の丸のみで傷をつけた感じ)、掻きベラにて、チャンポと言われる朴の皮だけで作った筒型の入れ物に採集してゆきます。次の日には2日山に向かいます。漆は傷を付けられると自分の傷を治そうと己が出す樹液です。そしてその傷をつけられたことで、漆の木自身が一生懸命漆液をより活発に作り出そうとするわけですから、5日目に一日山に戻って来た時にはより多くの漆液が出て、それを15回ほど繰り返し採集することが出来るのだそうです。自然の力とは凄いものです。といっても、漆の樹液が最も出る真夏でも、腕の良い掻きこさんでも、一日600匁(約2.2キログラム)しか採集できないのですから、とても貴重なものです。そんな漆ですが、漆を採集する掻きこの減少と、特殊な形状をした掻鎌を造る職人がすでにご高齢で、日本に一人しか居ない現状は日本の漆業界にとって、まさに危機的な状況です。
掻鎌でえぐる
掻きべラにてチャンポンに入れる
<漆の精製>
 木から滲み出してくる漆液は、ミルクを薄くしたような色で甘い香りがし、少しなめてみるとピリッとした刺激味がします。採集したての漆は水分が約30%で、かなり水っぽく決して粘性があるとはいえません。これを塗るのに適した漆にするには、熱をかけて撹拌しながら、水分をとばす作業をしなくてはいけません。これが漆でいう精製作業で、昔からやっているのが“手クロメ”、室内で温度を加えながら機械を使うのが”機械クロメ“と呼ばれています。いづれにしても「どんな漆を作りたいのか?」が最も重要なことで、その作業いかんで、乾きの遅い漆、底艶のある漆、透けのよい漆が出来上がる重要な作業です。私も若い頃数年にわたり、師である佐藤阡朗先生の元で早朝より手クロメを経験しました。今になってやっと先生が何を言っていたのか、どんな漆を作ろうとしていたのかが理解出来るようになりました。何より”手クロメ“作業に重要なのは、経験とこんな漆で塗ってみたいという、漆の物作りに対する熱い想いのようです。”クロメられた漆は水分が30%から2~3%に減少し粘性は多少増して塗ることが出来るようになりますが、2 3年寝かし熟成させて粘性が増してから塗る方が安全です。しかしクロメたばかりの粘性の少ない漆を塗るのも、私にとって快感でもあります。ちょうどワインの新種ボジョレーヌーボーに似た感じかもしれません。いずれにしても漆はそれぞれに味があるのではないでしょうか。
天日にて手クロメ
クロメ終盤
クロメ始め
<漆の道具>
 漆の道具は、塗るための刷毛、蒔絵に使われる特殊な筆、また下仕事に欠かせない研ぎ炭、ゴミなどの塵を取り除くための吉野紙などの和紙です。私達漆の物作りに携わる人間は、漆掻きをはじめとした、特殊職人の人達に支えられ、今こうして仕事が出来ているわけです。
 刷毛に使われる極上な毛に長くて腰のある女性の髪の毛が用いられていることは有名ですが、仕事に携わる男の私にとっては唯一艶やかな話でもあります。その刷毛は鉛筆のように作られていて、磨耗し塗りに適さなくなった時には、また自分で切り出し、自分に合った刷毛を作ることが出来ます。漆刷毛師泉清吉(いずみせいきち)氏には、長野オリンピックメダル作製の際、幅6分の刷毛を特別注文し使わせていただきました。感謝の気持ちで一杯です。このように刷毛には塗る物の大きさによって様々な寸法の刷毛があります。
 磨耗していない鼠の背筋の毛が、極細い線描きをする時に用いる蒔絵筆としては最高とされ、“命毛”とも言われている先端の水毛(毛の長さの一割ほど)の均一性がその良し悪しを決めると言われています。蒔絵師ではない私はねずみの背筋の毛を用いた筆はありませんが気の遠くなるような細やかな作業の繰り返しであることは想像するに難くありません。
 蒔絵の研ぎにおいて研ぎ炭は絶対不可欠なもので、現代の便利なサンドペーパーでは代替できません。何故なら0.03ミリほどのごく薄い塗膜面を研ぎ炭にて平滑に研ぎだしていくので、上塗り漆の中に埋まった金粉等を研ぎ出していく蒔絵技法が可能なのです。20年ほど前福井県名田庄村(なたしょうむら)の東太郎(あずまたろう)さんの炭焼き現場を尋ねました。単に炭を作るのではなく、材料である油桐(あぶらぎり)を入念に選定し、十分乾燥させ、炭焼き作業に入ります。これもとても大変な仕事です。他にもまだまだ多くの漆の道具があります。陰ながら漆を支えてくれている職人の人達に深く感謝すると同時に、漆の仕事を将来に向け残していく為に、あくまで謙虚な姿勢で物作りに励んでいかなければと念ずるばかりです。
刷毛類
蒔絵道具
<漆の木地について>
 漆の仕事は塗る木地がなくては成立しません。私の仕事に関して言えば、轆轤(ろくろ)、指物、桶、曲げ物等です。轆轤とは椀などの木地を轢く仕事で、木地の取り方で産地のおおよその見当がつきます。木地には縦木取りと横木取りの2種があります。茶道における棗などの切り合口の精度の高い物を作るには、狂いの少ない縦木取りの木地が良く、横木取りの木地はたっぷりした大らかな厚手の木地を作るのに最適です。指物といえば江戸指物が有名ですが、家具類等は現代の床暖房等の過酷な住環境状況下において、無垢板を使用した家具作りはなかなか厳しいものがあり、残念ながら、今まさに再考の時が来た!というのが現実です。
 桶は木の塊から刳りぬいてしまう轆轤と違い実に無駄のない仕事で、昔から手桶から大きな風呂桶まで作ってきたのですから、日本の文化を担ってきた木地のひとつです。その中でも、竹箍(たけたが)が綺麗にはめられた桶の姿は、まさに機能美ゆえの美しさがあります。最後になりましたが、木曽ならではの木地に曲げ物があります。柾目の薄い材を曲げ、底の板を嵌め込むだけの桶同様無駄のない仕事です。物はメンパと呼ばれる木曽独自の弁当や丸盆に代表され、桧材が最高とされます。薄い板ほど曲げ易いけれども、強度と言う点では形や大きさに応じた厚みが必要であり、その形状と厚みの絶妙なバランスが曲げ物木地の美しさの源と私は思います。
指物の技-箸箱と箸
罫引き類
<私感・・・漆工芸とその美>
 漆工芸は日本が源のようで、蒔絵に代表されるように日本でその技術は完成されたといっても過言ではありません。一方漆の木が生育する東アジア全域に目を向けると、ミャンマーの漆工芸は竹などを素材にあじろで編み上げた見事な器物に刷毛も使わず素手(すで)で漆を塗り、蒟醤(きんま)という最密な加飾を施しています。これはまたいたく魅力的で素晴らしい物です。このように異国の物を見つめると、物創りとは単に綺麗に作られた物だけが工芸品ではないということも確かなことのようです。2007年中国を訪ねた際、中国の漆画の作品の数々を見てきました。彼らは日本では当たり前の艶上げを完全にしないで、絵画として完成させていてとても驚きでしたが、考えてみればあくまで絵画表現の一つの手段として漆を使っているわけで『日本人ももっと自在に、諸々の制約にとらわれないでいいのでは!?・・・』と、今さらのように感じました。基本はどの国においても大事なことですが、日本には日本の、ミャンマーにはミャンマーの漆工芸があり、それがそれぞれの国の文化であることをとしっかり認識することが大切であると思いました。物の美とは実に不思議なものです。
中国 漆絵 喬十光(QIAO Shiguang)先生作
ミャンマー キンマ