幼いインタビュアー

今夏、姪っ子の子供のインタビューを受けたら… 笑

今年の夏休み、東京の姪っ子家族がすでに恒例となっている我が家に5日程滞在していました。その際、夏休みの課題としてまるで“情熱大陸”のようなインタビューを受けました。どうなったか?と連絡すると、下記のようにまとめてくれました。あまりの可愛いさと誤字脱字の多さ、またおじちゃん様に久々に大笑いしました。

今夏の夏休みの課題  まとめ

インタビュアーの彼は中学1年生。中学ではこんな課題(夏休みの研究)が出されていることも驚きでしたが、あんな少しばかりのインタビューで、どこまで書き込めるのか?と心配していましたが、それなりに重要な点を押さえてくれていて何より。『将来新聞記者になったら!』と進言しました。

本当の豊かさとは・・・

私の住む木曽平沢 散歩の際のお気に入りの場所

今朝の信毎(信濃毎日新聞)に、豊かさについて書かれていた。私も、最近ことに時間的に余裕がなくその豊かさについて考えていただけに何だか腑に落ちた。

本当の豊かさとは、資本主義のように費やした時間の対価を云々するのでなく、決して見返りを求めない時間の使い方の中にある。そんなゆったりした時間を楽しむ心の余裕が必要のようだ。それが、ボーっと青い空、白い雲を眺める時間であっていい。と、ごく当たり前のことだが再認識したところです。

さあ、今日も一日頑張ろう!

中尊寺金色堂 特別展

東京国立博物館 特別展

中尊寺金色堂 建立900年を記念して、東京国立博物館で、1月23日から開催されている特別展を観るべく、久々に東京に行って、今帰りのあずさです。

NHKとの初めての試みで、8KCGで中尊寺金色堂の内陣に入っていけたのは、目眩がするかのように真に迫って実に圧巻でした。

NHKで放送されたこともあったのか?入場まで70分あまりの時間待ち。

本格的な平安漆蒔絵の最高峰とも言える内陣巻柱の螺鈿を始めとした蒔絵。先人の凄まじい心意気を感じ、何とも言えない感動でありました。

想う・・・

能登大地震から1ヶ月半・・・いろいろなことがわかってきましたが、4000年に一度という地震に見舞われた能登地方の皆様、また富山新潟の皆様方には、かける言葉も見つかりません。ただただ何とか踏ん張って欲しいと思う。また、冬の寒さも一段落し、陽も長くなりあと少しで春を迎えることが出来ます。それが被災された皆様にとって、少しでも生きる励みになって欲しいと願うばかりです。

すでに、被災された輪島の朝一の皆さんの中には、金沢市金石港で復興の準備を進めているとのお話しを聞いたりすると、どんな目に遭っても、決してへこたれない人間の生きる力を感じ敬服します。そして、今の私に置き換え考えてしまいます。『果たして、今の自分にはそれだけの力があるのだろうか?』と・・・こうしてぬくぬくと生きている私でさえ目眩を感じる今日。世界に目を向けても悲惨な戦争が終結する様子もない。何かが狂っている世界・・・・鬱々とした日々でもある。

今年の年賀状には、何があっても静かに笑っていたい。と、能天気に書きました。

いやーさすがに、今の状況ではありえない。とんでもない・・・ 涙

被災者からの年賀状・・・

昨日、輪島に住む先輩から届いた年賀状

昨日来た年賀状に輪島市に住む大学時代の先輩からのものがありました。あれ!?・・・と、不思議に思い電話をいれましたが、やはり通じませんでした。何時出してくれたのだろう?・・・

書かれている内容を読むと、これまた地震の激しかった珠洲市のキリコの改修をしたとのことで、昨年は大仕事を終えられた満足感で溢れています。

YouTubeで観てみますと、珠洲市の祭りは各町ごとに大きく立派な漆塗りのキリコ(宝燈)を作り、町の中を皆でエッサエッサエッサとねり歩いている様子がうかがえます。それが、先日の地震で家もキリコも珠洲市の住民も大きな被害にあったのでしょう。言葉もありません。

ボラティアも受けいられない状況で、今、出来ることもありません。そんな無力感を感じるばかりですが、他人事ではなく、いつどこで起こってもおかしくない天災であります。せめて出来ることは支援金を送って『何とか踏ん張って!』と背中を押してやるくらいです。

元日早々・・・・令和6年能登半島地震

昨日、元日早々に珍しくブログを更新しおえたと思いきや大地震発生。携帯の警報がけたたましくなると同時に揺れを感じたので急いでテレビをつけました。震度7・・・震源地は輪島市より東の志賀町、マグニチュード7、5だと言う。

輪島は漆器の産地。大学時代の先輩も住んでいるし、私のような漆に携わっている職人も大勢います。現在連絡もつかないし被害の全容もわかりません。

普段漆の仕事をしていて、風呂という漆器を乾かす室に塗った品物を置く際、時にここで地震でも起きたら・・・という不安がよぎることがあります。そんなことが2007年の前回の地震から能登では続いています。珠洲にも旅館をしている古くからの友人も居るし、ホント他人事ではありません。とにかく、この冬の寒い中、命だけでも無事で暖をとれ1日でも早い復旧を祈るばかりです。

昨年から眩暈がするようなことばかり・・・決して安全ではない地球、世界に住んでいることから目を背けてはいけないと考えさせられる年の初めとなりました。

2024年幕開け

2024年の床の間飾り

2024年明けましておめでとうございます。

昨年春、アキレス腱断裂の憂き目に遭い、私個人にとって辛い我慢の年でありました。また世界に目を向ければ、イスラエルとパレスチナの戦争に始まり、地球温暖化による気候変動と眩暈がする問題が山積み・・・全くもって困った事態で目眩さえします。昨年は、何だかそんな解決できないことに鬱々し日々を過ごしているうちに年が暮れ、新たな年を迎えたと言うのが実際です。さて、今年はどうなるのことやら・・・まるで他人事のように言っている自分がそこにいる。

今年は、心機一転!少しは前向きに進んでいきたいと思います。

昨年出来上がった厨子
中尊寺金色堂内陣巻柱に描かれた平安蒔絵による観音菩薩像の再現を試みてみました。詳細については、また・・・

秋!

2023年10月24日 上高地

今日は11月7日。アキレスけん断裂手術から6か月が過ぎました。ブログでも書いてきましたように術後40日で車に乗れ、至極順調にリハビリが進んでいたのですが、あの後、抜糸した糸が残っていて、そこから炎症が起こりしばし困惑、往生しました。

それでも今は、階段をスタスタ降りれるくらいに復調。先月24日には上高地に行って、大正池、河童橋、明神池まで歩き万歩計を観ましたら20000歩ほど歩いていました。秋の上高地は乾いた枯れた匂いがとても懐かしく、生きていることの幸せを感じました。

生きていると様々なことが起こり経験するのでありますが、今日、世界中で起きている戦争を見るにつけ憂鬱になります。同じ地球上で呼吸している人間同士、もっと優しく労わりあっても良いと思うのですが、なかなか一筋縄でいかないのが、この世の歴史・・・と溜息がでます。

アキレス腱断裂4

今日は6月27日、手術をしてから58日が経過したことになります。

6月7日装具がとれた時には、自分の足で大地を踏む幸せを感じました。そして自動車の運転も50日ぶりに…そんなわけで、早速先週の休日には乗鞍高原の日帰り温泉に車で行き、初夏?の高原へのドライブを満喫してきました。

怪我や病気をすると元気であることの幸せを実感するもの。また痛い思いをする怪我への警戒感も幾分自覚したようです。自動車の運転にはくれぐれも注意しなくてはと思います。

装具を外してからは、いよいよリハビリの開始。まだまだ無理せず焦らず十分気をつけてと言われていましたが、リハビリはやったもん勝ち。転ばなければいい!と、すでに自転車にも乗っています。小さい頃から、怪我には慣れていると言うか、骨も3回折っているので、リハビリの進め方は極力早い方が良い。と考えているのです。

吉と出るか凶と出るかはわかりませんが、とにかく梅雨明けを持っていち早く復帰したいと願うものであります。

アキレス腱断裂3

今日は、6月6日アキレス腱断裂手術から1ヶ月。術後の経過は至極順調です。

5月10日ギブスから装具へ
6月6日 現在の装具の状態

一昨日まで、恒例の木曽漆器祭は姉達や友人に助けてもらい無事終了。昨日は片付けをし午後から蕨採りを楽しみました。今日は久しぶりに家でゆっくりしているのでブログの更新です。

5月連休すぎアキレス腱の手術をし脚は不自由でしたが、友人に『こんな時くらい遊びに行かず静かにし、仕事だけしてればいいんだ!。』と言われ、手と口は動くので仕事だけは自分なりによくやりました。

ギブスをはずしてもらい、毎週1回水曜日に松本の相澤病院に介護タクシーで通院し、上の写真の装具を見てもわかるようヒールを一枚づつ抜いてもらい、明日はいよいよ装具を外してもいいのか?といった状況まできました。

ただ、今の時期最も気をつけなくてはならないのは再断裂しないよう無理せず、まだ本格的なリハビリや筋トレはしてはいけないとのことです。

明日水曜日は先月ギブスを外してから4度目の通院になります。行くごとに良くなっていくことが今は楽しみ。それを励みに生きているというのが実際でもあります。そして、1日も早く自分の足でスタスタと歩き、秋になる前にゴルフにも行けるようにならないかと考えています。

珍しく庭のさつきが咲いたので

アキレス腱断裂するも梅雨前の最高に良い季節を迎えています。

次女が、アキレス腱断裂し術後退院する際(5月2日)詠んだ歌を書き記しておきます。

“アキレス腱 断裂するも 山笑う”

『山が笑う』とは、新緑で覆われた山々が濃い緑一色でなく様々な色合いの緑である様を言うようです。