まだ見たことの世界を見たい・・・

綺麗に熊笹を刈り込んでいった 諏訪神社本殿の裏

今年は、7年に一度の御柱祭が5月の連休にありました。しかしコロナ禍での開催であり、極々静かにおごさかに4本の御柱はトレーラーで町中を引き、木遣を歌い無事諏訪神社境内に立つことが出来ました。長く続く伝統と文化の継承は人口減の現在大変なことだ、とあらためて考えています。

一昨年のコロナ一年目、『居ても立ってもいられないと』、諏訪神社までの道を背丈ほどある熊笹を切り、幼き頃あった神社に行く道を切り開いた。

その際、境内裏の熊笹に覆われた裏境内?のことが気にかかっていた。それゆえ、今年はその熊笹を5月中旬より切り倒していくことにした。といえば、カッコいいが、実は混合ガソリンがたくさん残っていて、すでに消費期限切れになっていたというのが1つの要因であった。笑、

しかし、ひたすら熊笹をビーバーで切っていくと見事な檜の大木や欅の大木が出現し、これは新たな発見であり、楽しみが増えていった。そして、それは日々雑多な悩みのストレス解消と幼き頃より前の神社創建当時の見たことのない景色を見たいという欲望に変わっていった。まだ完全に綺麗になったとは言えませんが、結局150坪程の熊笹を薙ぎ倒した。

まだ幼い子供の頃、境内の周りには蟻地獄があり、蟻をいれてやると、蟻は見事に吸い込まれていく様子をマジマジと残酷に不思議とみていた・・・・

今は、境内で遊ぶ子供達も皆無で、神社はある意味子供には馴染みの薄い存在となってしまいましたが、熊笹を切った境内裏には、清らかで爽やかな風が通るようになったのは、実に嬉しいことで、ここで美味しいコーヒーでも飲めたら実に愉快で楽しみです。

熊笹を刈り込む前の様子

熊笹を綺麗に刈り込んでいくと、建物?の基礎らしい石などが出現し、この痕跡を解明していきたいものと考えているところです。もしかしたら、戦国時代、武田勝頼が木曽昌義が鳥居峠の合戦で負け、逃げていく際神社に火をつえ消失したと言われている神社の基礎であったのか・・・?

私が人気のないところで、無心に熊笹をビーバーで刈り込んでいたら、30代前半の青年が訪れ、『僕もやります。』と言ってくれたのは実に心強いことで、こんなムーブメントが広がり、誰ともなく集まってくるようなことがあれば、これまた嬉しいことであります。

私は、決して信心深い人間ではありませんが、新しく物を作るだけでなくあったものを大切に!、という心だけは残っているようで、還暦を過ぎ生業を離れた取り組みが出来たら幸せと考えています。