寛容…ラッパで火は消えない!

寛容とは、『元来は,異端や異教を許すという宗教上の態度についていわれたのであるが,やがて少数意見や反対意見の表明を許すか,否かという言論の自由の問題に転化し,ついには民主主義の基本原理の一つとなった。ボルテールは「君のいうことには反対であるが,君がそれをいう権利は死んでも守ろうと思う」と語り,これは寛容の精神をよく示した言葉として引用される。だが寛容には限界があるとされている。まず第1に,理性,良心,真理への信念に基づく言説にのみ適用すべきである

私は、なかなかに頑固でわがままなようである。小学校の低学年の頃、私の通知表に付け加られる担任の先生コメント欄には、必ず『〇〇〇〇ところはあるが、わんまんである。』の言葉が必ず付け加えられていた。まだ幼い私ではあったが、いつもそんなバカな!と思っていた。今となっては、確かにそうとも言えなくはない。 いろんな場面で、自分の意見だけは、はっきり言ってきた。しかし、ブリタニカ百科事典の中に記載されている[寛容]の意味の中では、自分の意見をはっきり言うことは、民主主義において理性、信念、真理に基づいていれば、それは決して悪いことでもないようで、まずはひと安心。

昨年、ある地元の町づくりの会合があり、『これからは、少子高齢化が進む中、いろいろな組織はコンパクトにしていかなければいけないと思う。』と、ひとこと言ったところ、『猛君は、いつでも小さく小さくというが、大きなことを考えなきゃいけない。』と、・・長に言われた挙句、『ものを言うなら、区長になってからものを言え!』と、ある役職のトップに言われた。何だか呆然としてしまった。昨年、すでに還暦を迎えた私の言った意見は見事に撃破されれたのだ。若い頃なら負けん気の強い私、なにっ!と、くいついたところであったが、さすがに私も還暦、そこは公の場でもあり喧嘩になってもいけないので、静かに鉾をおさめることができた。

私の小学校高学年の担任の先生は、なかなか面白い先生で、2年間で、班をつくっては解散、また班をつくり、その度に、班の目標を決めさせた。今でも、その辺のことは理解不能であるが、一ヶ月たたずに班を解散させたこともあったし、班長は必ず立候補性であった。後、分かったことであるが、至極優秀な転校生が2年目にクラスにやって来た児童がいた。昨年の東京の作品展で飲む機会があって話しをすると、そこで、彼曰く『班長どころか、副班長にもなれなかった。恐ろしい小学校に転向してきてしまった・・・』と笑った。彼は、きっと、前の小学校では級長でもしていたのだろう。(後、彼は、また転校しながらも同じ高校に入学し、見事、東大に現役合格することになる。)

その班ごとにかかげたいくつかの目標の中に、必ず『自分の意見をはっきり言う。』という一文があった。そんな教えもあってか、いざ問題があれば、自分の意見だけはいつでもあり、何か会議があると、せっかくなので一言だけ言わせてもらってきた。その一言が、何時も会にとっては、衝撃だったようで、私は、田舎の地元では、いつからかゴンジャの猛ということになってしまったらしい。また、長野県には消防団のラッパ大会なるものがあり(郡大会・中信大会・県大会と続く)、各市町村ごとの消防団がラッパ吹奏を競います。私は、信州の寒い冬から解放され、ようやくよい季節を迎えたとおもいきや、大切な若者の時間を費やされ、やりきれないので「ラッパで火は消えない!」と郡のラッパ長会議で話しをしたら、ラッパ命の各町村のラッパ隊長からにらまれた。(笑)現在、長野県では、ようやくこのラッパ大会不参加を表明した若者たち消防団があり、何だか私としては心強く嬉しいものがある。

相変わらず、のっけから余談になってしまったが、結論を言うと、キリストのような神様ではない人間の私にとって、寛容とは、どこまでも許せることでなく、理性,良心,真理への信念に基づかない言動に対しては寛容でなくてもよく、良心に恥じない信念に基づく自分の意見や意思であれば貫いてもいい、ということになる。

さて、かつてこんなこともあった・・・お恥ずかしい話ではあるが、今となっては、面白い失敗談なので書き留めておく。

若かりし美大の一年の夏休み明け、課題をこなすべく早く金沢に帰ったのですが、どうも木曽と違って蒸し風呂のように金沢の町は暑いし課題をやる気力もなく、ドストエフスキーの『罪と罰』を読んでいて、課題をしないで講義に出た。その際、運悪く、一番前の席に座ることになってしまった。やれやれ…と思っていたのですが、これが間違いのもと・・・「やらなかった者は手を挙げろ!」と、入学時、先輩から鬼の〇〇〇と言われ、恐れられていた特攻隊の生き残りで、東京在住のバリバリの著名な非常勤デザイナー(のち、H氏は学長となる)が言った。しぶしぶ手を挙げざるを得なかった。事件は、その後に起きた。「どうしたんだ!?」と煙草をふかしながら私の顔をにらみつけH氏は言う、で、私は「出来ませんでした・・・(一息ついて)じゃなくて、やりませんでした。」即刻張り手が飛んできた。あ~ぁ、やっちまったー。結局、課題をやらなかった私を含めた8名ばかりの学生には、課題の3倍増しの罰がくだった。大きな“罪と罰”となった。踏んだり蹴ったり涙して。

昨年3月に書いた、私のつぶやきより