私は金沢の美大を卒業し、まもなく金属に漆を塗る技術を当時の諏訪精工舎(現在セイコーエプソン)の依頼で、研究開発する幸運に恵まれました。その後、1998年の長野オリンピックでは漆蒔絵による入賞メダルを提案させて頂き、幸いなことに勝者の栄光を称えるメダルとして世界中に飛び立っていきました。しかし、私の次なる仕事は世界に向けて日本の歴史ある漆工芸を、現代において何を残せるかでありました。この度、構想から3年の歳月を経て長年時計と関わりあってきましたその集大成として、古来より人類に時を告げてきました森羅万象“太陽と月”をテーマにした、私が夢に描いた蒔絵機械式腕時計が完成しました。何分にも複雑な構造ゆえの物・・・若い頃からの友人であり、日本では稀な時計作家である平林隆氏をはじめ、大手時計メーカーの皆様方、また多くの支援機関の方々のご協力ご支援を頂き完成に至りましたこと、まことにありがたく感謝している次第であります。
2009年12月 伊藤 猛
協力:(有)アシュラ 平林 隆氏 / セイコーエプソン株式会社 / オリエント時計株式会社 / (有)アイテック
支援団体:(財)長野県中小企業振興センター / 長野県工業技術総合センター / (財)塩尻・木曽地域地場産業振興センター
手巻き機械式時計は時計の原点であります。私の母が持っている時計は、長姉が誕生した時、亡き父より贈られた腕時計で、すでに半世紀を過ぎた現在でも、カチカチカチと心地よい音と共に確実に時を刻んでくれています。かつて人間の知恵の結晶ともいえる手巻き時計は、まさに人間の心臓が鼓動しているかのように私には思われ、それが現代のデジタル社会におきまして、何ともいえぬ機能美と懐かしい憧れさえ与えてくれます。そんな機能美に蒔絵の優雅さをそなえた現代の工芸品としての腕時計は、日本文化を愛する心豊かな皆様の腕にきっとしっくりとなじみ、永代に渡って受け継がれていくことを願うものであります。
蒔絵は漆を接着剤として用い、筆などで図柄を描き、その上から金銀粉を蒔いては定着、塗りこみ、研ぎ炭による研ぎを繰り返しながら加飾していくもので、日本ならではの漆工技法です。平安時代より金銀粉は改良を重ねられ、極細かな粉類は安土桃山時代には先人達の手でほぼ完成されました。今回そんな蒔絵技法に金銀平目粉の洗い出し技法(金銀平目粉を研ぐことなく蒔き放った眩いばかりの現代の蒔絵―私が師と仰ぐ、現在国重要無形文化財保持者である大場松魚先生があみ出した技法)、また平文(板金)ならではの強さをパワーリザーブ部に使用し、平安時代から現代までの蒔絵技法を、文字盤という小さな空間に5種入れてみました。暖かい光で満ち溢れる太陽と、あくまで穏やかで静かな光を放つ月を表現することには苦労しました。蒔絵ならではの奥深い美しさと上品さが狙いです。なかでもローマ数字枠線の線描きは手描きでは無理な話で、わずか0.03ミリの線描きを時計独自の特殊印刷技術に漆を使用し平蒔絵として表現、視認性と共に蒔絵ならではの奥深さが表現できたのではないかと自分でも嬉しく思っています。
”うるし美わし”漆蒔絵文字盤の小宇宙を堪能して頂ければ幸いです。
昨秋、金沢の大場松魚先生(国重要無形文化財保持者)の自宅にお邪魔した折、“日月”と書かれた一枚の色紙を頂戴しました。その際「日月は森羅万象を表す。わしの好きな言葉じゃ・・・」と、私の耳元で静かに囁かれました。この世のいっさいの存在は太陽と月のなせる神秘的な自然現象ゆえのもの・・・とでも言いたかったのでしょうか?実に興味深いことでした。すでにその時腕時計“太陽と月”の企画は道半ばでありましたから・・・そんな敬愛する恩師のお言葉を戴き、あくまで丸い太陽と刻々と変化する月の形、そのふたつを重ね合わせ、私達の住む地球がいつまでも永遠たることを願ってNICHIGETSUロゴとさせて頂きました。
ケース及びムーブメント全て日本製の完全オリジナル
(竜頭からネジ1本1本まで、平林隆氏による手作り)
【 腕時計の意匠について 】この度の腕時計“太陽と月”は、あくまで機械式時計にこだわり、オリエント時計製Cal.48A(最高級キャリバー)の手巻き式ムーブメントを幸運にもわけて頂けたことを前提に、デザインを展開していくことになりました。
オリエント時計の製品では12時方向にパワーリザーブ部(巻き上げ時間等が解るインジケーター)があります。結果3時位置に竜頭がきます。私にしてみると、“太陽と月”を表現しているパワーリザーブ部が12時方向では、蒔絵で描いても対象になってしまい面白くありません。【真の芸術は対象の中にあるのではなく、非対称の中にある!】、それで竜頭位置を30度変えることで、パワーリザーブ部を左右どちらか(11時方向か1時方向)に振ることが出来ます。そこで考えました・・・ パワーリザーブ部を1時方向に持っていき、竜頭位置を4時方向に振ることで、腕時計を左手首に身に着けた時、『体外方向である1時位置から、太陽と月の光パワーが体内に入る!』、これで問題は解消しました。ゆえ巻上げ時の竜頭位置は通常の3時位置ではなく4時位置に決定しました。
私の仕事になります漆蒔絵文字盤に関しましては、平安時代から現代までの蒔絵技法を様々な金銀粉を使い5種用いましたが、かつて繊細な数字を蒔絵で表現した腕時計はありませんでした。正確な英字による様々にレタリングされた文字は実に完成された芸術と私には思われます。今回の時計文字盤では、その繊細な歴史ある時計に使われてきましたローマ数字を、文字盤ならではの精密特殊印刷技術に漆を応用し、二つの蒔絵技法(研ぎ出し蒔絵と平蒔絵)で表現。視認性と共に蒔絵ならではの神秘的で、宝飾の輝きを放つ美しい世界を描きたいと願いました。
時計設計図面は、諏訪市の時計工房(有)アシュラ平林隆氏(元セイコーエプソン 宝飾工房)による手描き図面で、手巻きムーブメントの図面及び現物を実測し、さらには漆塗膜層の厚みを検証しながら、何度も手直しを重ね完成させてくれました。ちなみに漆塗膜層は平均値をとって0.07ミリに最終的に決定を下したようであります。
平成22年1月31日
アシュラ時計工房
平林 隆
伊藤猛さんから電話が入ったのは、3,4年ぶりかもしれない。
「漆時計をつくりたい。」のだと言い、数日後、詳細を話しにやって来た。
文字板の限られた小さな場面に、漆を使う表現は、難しいものとかねがね思ってきたが、伊藤さんの企図はすっかり組み立てられているようであったし、そもそも思いつきで事を起こす人ではないし、顔には、マグマのような情熱が蓄えられていて、辞退すると噴火して、火傷を負うのも嫌なので、引き受けることにした。
製作に当たっては、通常、洋白という金属を使うが、貴金属材料でもそんなに加工工数は変わらない、と伝えると、太陽はピンクゴールドで、月はホワイトゴールドで作って欲しいとの依頼になり、決心の固さと腰を据えた取り組み覚悟を観て取れた。
貴金属材を使うことは、試作とは言え、本品同様に緊迫感を伴うが、この感じはかえって好きだ。20歳の頃、技能五輪の試験当日を思い起こす。
「太陽と月」の意匠はムーブメントの針位置を好く活用されており、非対称のローマ数字がおもしろい。意匠の狙いを最大に引き出す外観で100%の仕上がりを心がけた。
伊藤さんは、忍耐と粘りと深慮がある。
それに強運だ。
今回の企画では、優れたムーブメントの提供がかかせなかったが、数社の大企業の協力までも取り付け、本品試作品は完成した。
うるし文字板は、伊藤氏自らの手作業と、ハイテクを共有した創りであり自身も満足の出来上がりになっていることだろう。
深みとしっとり感の醸成は、うるしの特性を活かし、魅力の作品に仕上がった。 おめでとう!
TAKESHI ITO のモデリングに関われ、伊藤さんの感覚と人柄に触れ、また一つ2009年の年輪を刻めた思いが湧いてきた。
ありがとう。
描かれた図面を見ながら自分の時計構造確認のために描いた構造図面で、裏は精緻な最高級オリエントムーブメントの駆動している様子が見えるように、シースルーバックとしました。
古代より人類に時を告げてきました、森羅万象“太陽と月”をテーマに、溢れんばかりの暖かさとエネルギーに満ちた太陽。あくまで静かで穏やかな光を放つ月を、繊細な漆蒔絵の技を駆使し、数十枚にわたる試作を繰り返し表現してみました。
ちなみに、その工程は25工程におよびます。
塗り工程における苦労は、構造上極々薄い漆塗膜層(狙い値0.08ミリ以内)に仕上げなくてはいけなかったことであります。
文字盤は二重構造になっており、セイコーエプソン(株)ウォッチ事業部の製造技術の方々にお世話になりながら、構造検討から設計製作、現場蒔絵の仕事に至るまで、多大なるご協力を頂きました。